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2016年11月26日土曜日

認知症になっても住み続けられる町

医療フォーラム(平成28年11月20日、リバーサイドホール)

 平成28年11月20日(日)墨田区リバーサイドホールで開催された「墨田区民医療フォーラム」に参加。今年のテーマは「認知症になっても住み続けられるまち すみだ」である。
 第一部は中村病院地域連携型認知症疾患医療センター主幹・中根先生の講演、わかり易く面白かった。お話のポイントを私見から3点ご紹介。

1)認知症にならないためにはどうするか?
   年をとらないこと! でも無理なのでジタバタしない!
2)治療方法は?
   根本的な治療方法はない!  医療、介護に任せてしまうことも大事!
3)認知症になったらどうするの?
   住み慣れた地域での生活を望む人43.7%、介護施設でくらしたい人47.7%、こちらが多い!
   
   やっぱりそうだよね。いくら住み慣れた地域でも少し無理があるよね。

 フォーラムから3日後の11月23日、偶然見た池上彰さん司会のTV番組でオランダの認知症の人だけが住むホグウェイという町を紹介していた。
 そこはスーパーがあり美容院がありレストランがありごく普通の街のような先駆の介護施設(介護タウン)である。入居者152名に対して介護従事者が250名、様々な形でケアを受け持って認知症の人と自然に生活していた。

 オランダでは老後の生活に不安を抱いている人は僅か0.5%。それに対して日本は95%だそうである。ほとんどみんなが心配している。 
 認知症になっても住み続けられる町ってどんな町だろう?わが町すみだは今のままでそれに応えていけるだろうか?

2016年11月25日金曜日

ボランティアのかたち

東京ホームタウンプロジェクト・グループ討論会
 平成28年11月19日(土)13:00~日本橋で開催された東京ホームタウンプロジェクトの中間交流会に参加。昨年度に支援を受けた団体としてパネラーで登壇し、見守り活動の概要と支援の内容について紹介した。その後はテーマごとに小グループに分かれグループ討論会。その中で「在宅ホスピスケア」のボランティアコーディネーターMさんの話は大変興味深く、そして心に残った。

「あなたは自己満足のためにこんなボランティアをしているでしょ!」
在宅療養中の方からこんな言葉をなげつけられたそうである。

 ホスピスケアとは余命かぎられた患者が心理的、身体的な苦痛から解放され、残されたわずかな日々を人間としての尊厳を保ちながら心身ともに安楽に過ごすことができるようにするためのケアのことだ。
 Mさんはそこで患者や家族に寄り添い、相手の話しを受け止めて聴く傾聴ボランティアを無償で行っているという。医療や介護ではない心のケアである。

  最初から自己満足のために毎回他人の死と向き合っていける人はいない。そして「やさしさ」と「利他心」が人一倍強くなければ、
この活動はできないだろう。それでもその家族に喜んでもらえたことが結果として励みになり、自分の満足になり、活動の継続に繋がっていくのだと思う。
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2016年11月21日月曜日

4町合同防災訓練に参加

これでいいのかなぁ~(AEDによる蘇生訓練)
 
 平成28年11月13日(日)太平地区1~4丁目の4町会が一緒になって行う合同防災訓練に参加。今年は本所防災館での防災体験ツアーである。最初は4階の防災シアターでの災害映像体験。みまもり活動を始めるきっかけにもなった東日本大震災の迫力ある津波の映像が大音響と座席の振動とともにリアルな記憶を呼び起こす。

 当時私は土木の景観デザインや某電力会社の建物被災度判定映像制作などに係っていたこともあり、現場をどうしても見ておきたかった。東北自動車道路の復旧開通後すぐに宮城県に向かって車を走らせた。
 行先を決めて行ったわけでもないが、東北道から仙台北部自動車道を経て三陸自動車道を北上したころ、気がつくと前後左右災害支援に向かう自衛隊のトラック車列に挟まれていた。誘導されるように石巻市街地に着くといままで見たことがないような異様な世界があった。
 
 道路際には仮埋葬されたのだろう数多の墓標、そして町中に漂う魚の腐ったような異臭。津波で破壊されつくした瓦礫の街は果てしなく広く、災害支援要員はあまりにも少ない。
 だれもいなくなった住居跡にはポツンと一人、100m程離れたところにもポツンと一人、長い棒のようなものをもって瓦礫と土砂に埋もれた遺体を黙々と捜す自衛隊員の姿がいまでも目に焼き付いている。

 次は東京直下型大地震だ。その時私たちに一体なにが起こるのかだれにもわからない。できることを粛々と備えていくほかない。