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2017年6月7日水曜日

無分別であれ

曹洞宗大本山 永平寺

 5月28日(日)新緑の永平寺を訪問した。「ゆく年、くる年」で有名なこの寺は禅修業の道場でもある。禅の基本は無我であり、自分に対する執着心を捨て去ることだ。僅かな時間だが禅体験もでき、こころと向き合う静かなひとときを得た。

  翌29日の早朝、旅先のテレビから北朝鮮の新型ミサイルが日本海EEZに着弾したという臨時放送があり政府関係者の緊張したコメントが流れる。3日後の6月1日、米国が地球温暖化の国際協定「パリ協定離脱」を表明し、翌日の新聞各社の一面が全て「国際社会が一斉に批判!」の内容で埋まった。
 自分達さえよければいい!一国主義に振り回される世界は深刻な危機と向き合っている。

  分別(ふんべつ)ということばがある。通常は物事の道理をわきまえていることだ。分別盛りとは、いろいろ経験をつんで世の中の道理をわかっている年頃ということになる。
 しかしながら仏教用語の分別は真逆の意味に近い。自分と他人あるいは自国と他国など価値観を2つに分けて考えることである。分別は「妄分別」ともよばれ、妄想と執着心から発生し、争い事を誘発する間違った考え方であるという。
 物事をありのままに受け取り相対的に分けない思考こそが正しい考え方であり、禅の世界ではそれを「無分別」であれと説いている。

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